組合の歴史

書店組合の歴史

概要

土屋右近

左の写真は当書店組合の初代理事長土屋右近氏です。当書店組合の会議室には彼が昭和二十六年に書いた組合設立史ともいうべき内容の扁額が掛けられています。

扁額

この額には組合の、否、出版界の、否、日本の、生の歴史ともいうべき内容がご本人の直筆で書かれています。そして、この三千数百字の文章の最後にはこう書かれています。
「かくのごとき未曾有の転換期に遭遇したが、我が業界代表者中、故人と現存者とを問わず、いまだかつて一人の破廉恥者のなかったことは、さすがに知識階級者の団体として誇るべきである。」

現在書店組合で活動させていただいている我々が「知識階級者」かどうかは別にしてこの「破廉恥者」つまり「恥知らず」がいないことに関しては現在でも脈々と引き継がれています。


明治~戦時下

書店会館

現在の書店組合の前身ともいうべき団体は「東京書籍商組合」「東京雑誌販売業組合」「東京出版協会」「東京図書雑誌小売業組合」で、昭和十六年、これら4団体が戦時下の国家統制推進化の嵐の中で「東京書籍雑誌小売商業組合」に整理統合され、各都道府県に1つの現在の書店組合の原型が出来上がりました。

次の文章は「東京組合四十年史」(昭和五十七年 東京都書店商業組合刊)の引用です。

「たしかに、組合員の自覚的創造的動機によらず国家の強制力で出来た組合であるのだが、かかる経過の中にむしろ、弱小なる者がいつかは協力して1人では得られない力が賦与されるという、天の不可思議なる節理の一端がうかがい知れるのではないか。今日の出版界の中に置かれた東京都書店商業組合の立場の重要性を思うにつけ、歴史そのものの重さを厳粛に受け止めたいのである。もちろん、大正九年以来の小売業組合の活動の中で東京全域の書店の大同団結を願う声が、次第々々に高まって来ていたことは既述のとおりである。」

明治二十年 「東京書籍商組合」設立。出版社中心で取次・書店も加入可能な団体であったが、書店・取次の意思は反映されにくい組織であった。
明治二十年 「東京出版協会」設立。上記「東京書籍商組合」の牽制的組織であった。
大正三年 「東京雑誌販売業組合」設立。新刊雑誌販売業者と取次業者によって組織された。
大正九年 「東京図書雑誌小売業組合」設立。下町純小売業者にて組織された。
昭和二年 「東京書籍商組合」事務所が現在書店会館がある場所に移転。(上記写真)
昭和七年 「共同書籍」設立。書店が自分達で立ち上げた最初の取次であった。
昭和十六年 戦時下の国家統制推進により数多あった取次会社全てが「日本出版配給株式会社」に統合される。
昭和十六年 戦時下の国家統制推進により「東京書籍雑誌小売商業組合」設立。前述「東京書籍商組合」「東京出版協会」「東京雑誌販売業組合」「東京図書雑誌小売業組合」その他の書店の組合組織全てが解散。小売業に関しては「東京書籍雑誌小売商業組合」に統合される。
昭和十九年 農商大臣より「統制組合ヲ組織セシムルコト」との通知があり、「日本出版配給株式会社」に先駆けて「東京書籍雑誌小売商業組合」だった書店組合は「東京都出版物小売統制組合」となる。
昭和十九年 「日本出版配給株式会社」に対しても同様に農商大臣より「統制会社ト為ルベシ」との命令が下り、「日本出版配給統制株式会社」となった。
昭和二十年 「共同書籍」事務所が空襲で焼け、会社は事実上解散。
昭和二十年 三月十日の大空襲にも五月二十五日の山手空襲にも負けず組合事務所が焼け残る。

連合国軍占領下~戦後 - 配給組織解体、定価販売が定着するまで

国会議事堂から皇居を望む。周囲一帯が廃墟となった。皇居の向こうが神田駿河台。(写真は昭和館提供)


東京都出版物小売統制組合は八月十五日の終戦以降、八月二十九日に四名で臨時理事会、九月五日に十九名で支部長会、十月八日には総代会を開催し、十一月二十八日には全国組織設立の為の準備会を開催する。そして十二月十七日、ついに書店の全国組織である「日本出版物小売統制組合全国聯合会」を設立する。

GHQにより配給組織が解体され、それ以降小取次が次々と起業し、出版物の価格も無秩序な状態になるが、昭和二十八年に独占禁止法の改正に伴い価格拘束許容規定が挿入され、それから数年後には、不完全ながら一般読者が購入する出版物はほぼ価格拘束されている現在と同様な形態となる。

昭和二十年 出版物小売業の全国組織「日本出版物小売統制組合全国聯合会」設立。書店業界初の全国組織を創立する。
昭和二十一年 「日本出版配給統制株式会社」が統制組合の名前をはずし、元の名前「日本出版配給株式会社」に戻る。
昭和二十二年 独占禁止法公布。組合に入らなければ「日本出版配給株式会社」と取引できない点で排他的行為とされ、東京組合が公正取引委員会の監視の対象となる。出版物の定価の崩壊が始まる。
昭和二十二年 「東京都出版物小売統制組合」を解散し、新たに「東京都出版物小売商業協同組合」を設立して書店組合は「商工協同組合法」に基づく協同組合となる。また、全国組織「日本出版物小売統制組合全国聯合会」も同様に「日本出版物小売協同組合全国聯合会」となる。
昭和二十二年 出版物の売れ行きが絶好調で、神田村取次が次々に開業。
昭和二十四年 「商工協同組合法」廃止、「中小企業等協同組合法」公布。
昭和二十四年 「日本出版配給株式会社」が連合国軍による財閥解体政策により閉鎖機関に指定され閉鎖。「東京出版販売株式会社」「日本出版販売株式会社」「日本教科図書販売株式会社」(現在のトーハン、日販、日教販)に分割されて再出発。
昭和二十四年 目黒世田谷支部が「小売業者の手で新配給会社(取次)を設立せよ」との決議を持参。メンバーは鈴木、越石、田中、新倉、石井、枡田、西沢諸氏と、梅沢、中川理事。なお、このメンバーのうち、鈴木氏の子息は後述する書店による取次組織「TS流通協同組合」の創設メンバーであり、越石氏の孫は青年部の理事(平成30年時点)で副会長、新倉氏の孫は本組合の理事(平成30年時点)である。
昭和二十五年 前年の「商工協同組合法」廃止、「中小企業等協同組合法」公布に伴い、東京組合は大資本を持つ書店が加入できない協同組合とはならず、任意団体「東京都出版物小売業組合」となる。全国組織も同様に「日本出版物小売業組合全国連合会」(以降全連)となる。
昭和二十六年 「雑誌くじ」開始。現在の書店くじとほぼ同じ内容であった。
昭和二十七年 国鉄の運賃値上げに伴い、全連と取次組織との連名で東京と地方とで雑誌の二重定価を設定する懇請書を出版社1500社に送付し、結果、出版物の八割相当に都内定価と地方定価が併記されるに至った。しかしその後、公正取引委員会が調査に乗りだし、結局全連自身で地方定価廃止決議を行い、二重定価は事実上禁止されることになる。
昭和二十八年 独占禁止法が改正され、「第二十四条の二」再販契約(出版社が販売価格を決め、書店にその価格を守らせる契約。)許容の規程が挿入される。
昭和三十一年 出版社-取次-書店間で再販売価格維持契約(定価販売)を締結。昭和二十二年の独占禁止法公布以来続いていた出版物の定価の崩壊に終止符が打たれる。

もはや戦後ではない - 適正利潤獲得運動

昭和三十五年の麻布 小川書店店頭の様子
昭和三十二年 「中小企業団体の組織に関する法律」公布。商工組合(商業組合)に伝家の宝刀、過当競争を排除するために行う調整事業(安定事業)、経営の合理化を遂行する為に必要がある場合に行う調整事業(合理化事業)を行える強力な権限が与えられる。但し、この時はまだ書店組合は任意団体のままでありこの権限を持っていなかった。
昭和三十五年 全国共通図書券の販売が始まる。取扱い会社としての日本図書普及株式会社を日本書籍出版協会(以降書協)、日本雑誌協会(以降雑協)、日本取次協会(以降取協)、全連の総意で創設。
昭和三十六年 任意団体「東京都出版物小売業組合」から「中小企業等協同組合法」に基づく協同組合に改組し名称も「東京都出版物小売業協同組合」となる。
昭和三十七年 適正利潤獲得運動により、書店組合はついに雑誌正味2分下げを勝ち取る。そのさなか岩波「世界」だけが頑なに正味下げを拒否したため、組合は七月号の不扱いを決議し、全国の有力書店の殆どがこれに同調、約三千五百の書店が「世界」を取り扱わなかった。結果、日本雑誌協会が調停に乗り出し「世界」の書店出し正味は1分下げの82掛となる。
昭和三十八年 適正利潤獲得運動が進み、書籍について「正味81掛以上の新刊重版書籍で正味引下げの意思を表示しない出版社の送品を辞退する」旨取次各社に申し入れ。不買を辞さない決意を表明。これを受けた取次大手が正味2分下げを了承。
昭和三十九年 組合規約から新規出店時の既存店からの距離を制限する条文を削除。組合が新規出店に関して制限することが出来なくなる。以降新規出店については取次の経済合理性による判断に委ねられることになるが、ごく近い距離に同じ取次帳合で新規出店するケースについては認められない場合があった。
昭和四十年 現在の書店会館が完成。
昭和四十一年 全連が全国荷造費撤廃全国書店決起大会開催。これは地方の書店への配送に関して取次が書店から料金を取っていたものを撤廃せよという要求であったが。昭和二十七年には東京と地方とで雑誌の二重定価を設定する懇請書を出版社に提案していた全連(現日書連)が今度は地方への運賃負担を読者からではなく取次に求めた。
昭和四十三年 出版4団体(書協、雑協、取協、全連)が共同で出版物の公正な取引とはどういうものかを協議する「出版物公正取引協議会」を設立。
昭和四十四年 取次が地方への荷造費の請求を止める。全連が「全国書店総決起大会」を開催し不買を辞さない決意を表明して交渉した結果であった。
昭和四十六年 東京組合と取次6社との法的団体交渉の結果、雑誌正味の1分下げが実現。現在(平成三十年)と同正味の七七掛となる。
昭和四十六年 図書券に課税されていた地方税が無税となる。当組合が都への請願を昭和三十八年以来続けていた成果が実った。
昭和四十七年 「東京都出版物小売業協同組合」の名称を「東京都書店協同組合」に名称変更。全国組織も同様に「日本出版物小売業組合全国連合会」を「日本書店組合連合会」(以降日書連)に変更。
昭和四十七年 書籍マージンが二分引き下げられ、書店の側で「定価別正味」と「一本正味」を選択出来る様になる。日書連の「書籍マージン二割五分獲得 全国書店総決起大会」の成果であった。
昭和四十九年 公正取引委員会が全集百科などを販売していた大手出版社数社に対して排除命令を出す。全集百科などの販売に当たって書店及び従業員に対して提供していた景品が過大であり、公正な取引でないとの理由であった。
昭和五十一年 図書券を扱うと日本図書普及株式会社に支払っていた手数料(書店1%、取次1%)が向こう三年間で完全解消される事が決定。昭和四十九年より当組合が粘り強く交渉した結果であった。
昭和五十一年 公正取引委員会鳥居課長補佐より、再販契約書と再販委員会規約について「改正私案」が示され、公正取引委員会の再販契約に関する全面見直しの意向が示される。
昭和五十二年 「中小企業団体の組織に関する法律」に基づいた「協同組合」から「商工組合」に組織変更。名称も「東京都書店協同組合」から「東京都書店商業組合」に変更。東京都書店商業組合は名実共に中小書店全体の指導的団体となり、過当競争を排除するために行う調整事業(安定事業)、経営の合理化を遂行する為に必要がある場合に行う調整事業(合理化事業)を行える強力な権限が与えられる。

書店大型化の時代 - 大型出店反対運動、再販護持活動

昭和五十二年「鹿島・書店進出反対・東京都書店総決起大会」の様子


大手資本鹿島建設が東京駅八重洲口にビル一棟分二千坪の「八重洲ブックセンター」を開店したのを皮切りに全国で大型書店が次々に開店。それぞれの地元で出店反対運動を展開するも、政府の「流通近代化政策」、つまり商店を大型店とコンビニに二分させようという施策の影響もあり、次々に大型書店が開店してゆく。出版物販売総額はこれから二十年近くもの間大幅増加が続く。

昭和五十二年 東京駅八重洲口に大手資本鹿島建設が約二千坪の「八重洲ブックセンター」を出店する計画である事が判明し、東京組合は絶対反対を決議し、反対運動を開始する。
昭和五十三年 書店組合が八重洲ブックセンターとの覚書を締結。内容は近隣書店と重複する商品、つまり学術・専門書を除く雑誌、コミック、文庫を取り扱わないという商品の制限と和書売り場面積を当初予定の二千坪から七百五十坪に縮小するというものであった。
昭和五十三年 公正取引委員会橋口委員長が再販廃止発言をする。
昭和五十三年 紀伊國屋書店笹塚店出店に際し、地元書店の経営を圧迫するとして交渉を重ねた結果、雑誌売り場の経営を地元書店に任せる方式で、紀伊國屋書店及び地元書店それぞれの利益を損なわない新たな経営形態を提案し、その方式を取ることで決着した。
昭和五十五年 公正取引委員会との間で協議した結果、新再販契約、新委員会規約が発効。再販契約は守られる。
昭和五十六年 出版物小売業公正競争規約について公正取引委員会が認定。
昭和五十六年 日書連が「出版物小売業公正取引協議会」創立。出版物小売業、つまり書店業だけで景品の公正な取引を協議する団体が創立された。
昭和五十九年 客注品迅速調達システム「AN便」を中野・杉並支部が中心となって始める。この時代、お客様が書店に本を注文すると東京でも平均10日もかかっていた。これを1週間以内に短縮するため、アルバイトニュース(現在のan)を毎日書店に配送していた学生援護会のトラックに本を載せてもらうことで、迅速に書店に届ける事を可能にした。書店は神田村取次に注文し、神田村取次は出版社からその本を調達し、書店への配送は学生援護会が行うという仕組だった。書店はその運賃を支払い、決済は神田村取次が行うというものであった。
昭和六十年 日本国有鉄道(国鉄)が東京駅北口構内に直営書店「BOOKSシグナル」(後のブックエキスプレス)を開店する計画を発表。民業を圧迫するゆゆしき問題であるとして国鉄に撤回を求める。
昭和六十年 当組合の加盟店数の減少が始まる。前年の昭和59年3月末現在で1426店だったものが1423店に。前年の昭和59年の出版物販売額は1兆6369億円。(出典「出版科学研究所、出版物販売概況」)
昭和六十二年 国鉄民営化の為の法律「国鉄改革五法案」の内のひとつ「旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律」第十条に中小企業者への配慮として、「中小企業者の事業活動を不当に妨げ、その利益を不当に侵害することのないよう特に配慮しなければならない」との条項が明記される。
昭和六十三年 「日本書店組合連合会」が商業組合となり「日本書店商業組合連合会」(以降日書連)と組織変更。
昭和六十四年(平成元年) 3%の消費税導入。
平成二年 青年部設立。
平成三年 日本の株式相場の急激な下落、いわゆるバブル崩壊が始まる。
平成三年 「政府規制等と競争政策に関する研究会」(座長 鶴田俊正 専修大学経済学部教授)いわゆる鶴田委員会により、独占禁止法上の著作物の再販適用除外(旧第24条の2、新第23条の4)の削除を検討をするとの問題提起がなされる。
平成五年~六年 書籍の正味下げが実施され、主要なものについては現在(平成30年)と同じ78%出し正味となる。当組合が中心となって日書連が再三に亘って運動してきた成果であった。
平成六年 コミックの正味下げが実施され、主要なものについて正味1.5%下げ、現在(平成30年)と同じ75.8%の取次出し正味となる。また、雑誌については角川書店がいち早く2%の正味下げを行い、そのうち2割5分の0.5%は取次分として取次出し正味75.5%になる。
平成六年 「AN便」の書店への配送が毎日から週3回になる。注文品をお客様にお届けできる日数が再度平均0.5日遅くなった。
平成六年~七年 前年の角川書店に続き、他社でも雑誌正味の引き下げが行われる。小学館、講談社、文藝春秋、NHK出版、マガジンハウスは版元出し正味1%下げ、そのうち3割の0.3%は取次分として取次出し正味76.3%。また、ムックについては角川書店、集英社、白泉社、マガジンハウス、ぴあが版元出し正味1%下げ、そのうち3割の0.3%は取次分として取次出し正味76.3%となった。この結果、雑誌、ムックは版元によって正味体系が違っている状態となり、現在(平成30年)までこのまま続いている。
平成七年 阪神淡路大震災発生。
平成七年 公正取引委員会傘下の「政府規制等と競争政策に関する研究会」内の「再販問題検討小委員会」(座長:金子晃慶應大学教授)が、「再販適用除外が認められている著作物の取り扱いについて」(中間報告書)を公表。これは出版界が再販制度が必要な根拠としてきた理由をことごとく否定するもので、再販制度廃止を強く推進するものであった。

出版不況始まる - 携帯電話の普及と日本経済の長期低迷

紙の出版物の推定販売金額の推移

出版不況が始まる。当時はブックオフ等の新古書店(リサイクルショップ)や図書館利用が普及した影響で買い控えが起こったことが原因という意見も多かった。しかし、平成六年(1994年)にはPHSサービスが開始され携帯電話通話料金が低価格化、平成七年(1995年)にはWindows95が発売、平成十一年(1999年)にはインターネット接続可能な携帯電話が発売されている。これらによってインターネットから情報を得ることが広く国民の間に浸透した。この時期と出版物の売上減少時期が重なっていることは明確な事実である。その後、携帯電話以外にもスマートホン、タブレット端末の出現、ネットワークゲーム、SNS等による個人のインターネット利用時間の増加によって、読者の可処分所得が減少し、読書時間が減少していったことが出版不況の大きな原因とみるべきなのかも知れない。

平成九年 消費税増税、5%に!
平成九年 「再販問題を検討するための政府規制等と競争政策に関する研究会」が、前記の「再販問題検討小委員会」に江藤淳、清水英夫、内橋克人の各氏を加えて拡大する形で発足。日書連をはじめ「日本書籍出版協会」「日本雑誌協会」「日本出版取次協会」が強く要望した結果であった。
平成九年 出版物販売総額の下落が始まる。前年の平成八年の販売額は2兆6564億円。(出典「出版科学研究所、出版物販売概況」)
平成十年 前述「再販問題を検討するための政府規制等と競争政策に関する研究会」が報告書を公表。再販制度は「基本的には廃止の方向だが、文化・公共的観点から配慮する必要があり、直ちに廃止することには問題がある」、つまり当面廃止はしないとの内容となった。これは出版4団体の要望により参加された三氏の力によるところが大きかった。
平成十一年 商業組合の根拠法である「中小企業団体の組織に関する法律」から過当競争を排除するために行う調整事業(安定事業)、経営の合理化を遂行する為に必要がある場合に行う調整事業(合理化事業)を行える強力な権限が削除され、当組合や日書連が行う出版社との団体交渉について根拠が消滅。
平成十一年 「AN便」が終了。学生援護会から運賃の増額を求められた結果であったのだが、下記TS流通協同組合がこの全ての機能を包含しており、書店にとっては発展的解消とも言えるものであった。
平成十一年 TS流通協同組合設立。客注専門取次としての設立であったが、多くの書店が待望した書店による書店の為の取次であった。
平成十二年 「大規模小売店舗法」が廃止。この法律は「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業者の事業活動の機会を適正に保護し、小売業の正常な発展を図ることを目的」としたものであり、これが廃止されたことにより、基本的に大規模小売店の出店が自由となり、その周辺の中小小売業者の衰退に拍車をかける結果となった。
平成十二年 世界最大のオンライン書店である米Amazon.comが,国内でのサービスを開始。
平成十二年 「ブックオフ」をはじめとするいわゆる新古書店(リサイクルショップ)が台頭。「ブックオフ」は店舗数511、総売上高130億円になる。
平成十三年 JR本州3社(JR東日本、JR東海、JR西日本)が完全民営化。これに伴いこの3社は「旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律」の対象から外される。しかしその一方で、「附則(平成一三年六月二二日法律第六一号)抄」に基づいて国土交通大臣は指針を公表し、その中には次の様な中小企業者への配慮に関する事項が入れられた。「新会社は、その営む事業が地域における経済活動に与える影響にかんがみ、その地域において当該新会社が営む事業と同種の事業を営む中小企業者の事業活動を不当に妨げ、又はその利益を不当に侵害することのないよう特に配慮するものとする。」
平成十三年 3月末時点の当組合の加盟店数が1000店を割り込む。前年の平成12年の出版物の販売額は2兆3966億円。(出典「出版科学研究所、出版物販売概況」)
平成十三年 書籍・雑誌について、再販制度は当面存置されることが決定。独占禁止法における著作物の再販売価格維持行為に対する適用除外について、公正取引委員会は「同制度の廃止に反対する意見も多く,なお同制度の廃止について国民的合意が形成されるに至っていない状況にある。したがって,現段階において独占禁止法の改正に向けた措置を講じて著作物再販制度を廃止することは行わず,当面同制度を存置することが相当であると考える。」と発表した。
平成十五年 TS流通協同組合受発注システムのユーザインターフェースが改善され売上が増加、経営が黒字基調となる。書店のSA化促進支援の一環として小学館が全面的に協力してくれた結果であった。
平成二十年 3月末時点の当組合の加盟店数が最盛期の半分の713店を割り込む。前年の平成19年のインターネット経由を含んだ出版物の販売額は2兆853億円。(出典「出版科学研究所、出版物販売概況」)
平成二十年 中小書店から取次店への返品の入帳日が送品より数日前になっており、中小書店はこの差額を建て替えて支払っていることで経営を圧迫されているとして調査を開始。「送品・返品同日精算」の実現を求めて行動を開始する。
平成二十年 ケータイ電話(いわゆるガラケー)向け電子書籍販売サイト「ケータイ書店Booker’s」開設。当組合が「株式会社ACCESS」と協業して、電子書店を開店した。
平成二十二年 青年部がインターネット上で都内全書店を案内すると共に23店舗のリアルタイム店内在庫を一括で表示する「東京都書店案内」のサービスを開始。
平成二十三年 東日本大震災発生。
平成二十三年 ケータイ電話向け電子書籍販売サイト「ケータイ書店Booker’s」の協業相手「株式会社ACCESS」が事業を「日本エンタープライズ株式会社」に売却し、協業相手が「日本エンタープライズ株式会社」になる。
平成二十四年 平成二十年から行動していた「送品・返品同日精算」の実現について、日書連は公正取引委員会審査局に申告書を提出。当組合からも並行して同様の申告書を提出。
平成二十五年 ケータイ電話向け電子書籍販売サイト「ケータイ書店Booker’s」に代わって、スマートフォン向け電子書籍販売サイト「BOOKSMART powered by Booker’s」を開設。
平成二十五年 「送品・返品同日精算」について、公正取引委員会から「独禁法上、著しく不当であるとは判断できない」との公式見解が発表されるが、大手取次のトーハン、日販に対して「指導」が行なわれる。内容は「トーハン、日販は業務改善案を作成して取引書店に提示し日書連にも報告すること」であった。また、指導とは別に「取引書店及び日書連と良く話し合ってはどうか」との考え方が示される。これを受けてトーハンは3営業日、日販は2営業日中小書店への返品入帳を早めることになった。
平成二十六年 3月末時点の当組合の加盟店数が最盛期の三分の一の475店を割り込む。前年の平成25年のインターネット経由を含んだ出版物の販売額は1兆6823億円。(出典「出版科学研究所、出版物販売概況」)
平成二十六年 消費税増税、8%に!
平成二十七年 JR九州が完全民営化。JR本州3社と同様、中小企業者への配慮に関する事項は残される。
平成二十八年 青年部が運営する「東京都書店案内」に全国全書店を掲載。名称も「全国書店案内」と改称。リアルタイム店内在庫が検索可能な店舗数が1600店を超える。
平成二十九年 スマホや、タブレットで読む電子書籍が普及し、電子コミックスの売り上げが紙のコミックスを上回る。
平成三十年 雑誌売上が2年連続で10%以上の減少となる。これは雑誌の大きな存在意義であった情報の入手経路がスマホに切り替わったことと、読者の余暇時間そのものの使い方がネット動画、SNSやネットゲームといったインターネットメディアに奪われた結果である。その結果出版流通そのものが崩壊の危機に瀕し、これを受けて日書連は「版元、取次、書店」各業種合同の「書店経営改善実務者会議」を設置し対策の検討を開始。
平成三十年 3月末時点の当組合の加盟店数が最盛期の四分の一の365店を割り込む。前年の平成29年のインターネット経由を含んだ出版物の販売額は1兆3701億円。(出典「出版科学研究所、出版物販売概況」)
平成三十年 当組合が電子書籍販売サイト「BOOKSMART powered by Booker’s」における「日本エンタープライズ株式会社」との協業契約を解消。
平成三十年 書籍・雑誌の売り上げが低迷する中、TS流通協同組合を解散。

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