2007年〜2008年の青年部

平成19、20年度副会長 小川頼之

 青年部は今存亡の危機に立たされている。

 毎月の理事会出席は8名前後。全理事26名の3分の1にも満たない。しかも時間通り来ない人もいて、開催時刻には会長と私を入れても5人にも満たない場合がほとんどだ。出席人数は歴代最低なのではないかと思う。

一昨年まで積極的に理事会に参加していただいていた方々も、理事会に参加できる余地は確実に狭まり、参加していただけない事が多くなっている。親会の理事になって青年部との両立が難しくなった方、東京組合以外の営利団体に加入して時間がとれなくなった方、親御さんがなくなって店から離れづらくなった方、また、店そのものを閉店した方。しかし、組合は個店の経営が上手く行っていないとそもそも成り立たない訳で、参加を強制するなんて出来るはずもない。正直私には各理事の気持ちに訴えて出席をお願いするくらいしか打開策がない様に感じていた。

しかし、山辺会長はそう思ってはいなかったらしく、「俺は未来の青年部を創り上げる」などと本気か嘘か分からない様なことを酒を飲むたびに宣まっていた。(呑気に・・?)


そんな状況で迎えた平成20年度総会。

山辺会長は総会と懇親会に使う全資料と道具を全て1人で作成してきた。打ち上げでの話しを総合すると、奥さんや息子さん、果ては店の従業員まで動員して延べ60時間近くかかったらしい。「それは会長としてどうなんだ」とか、「副会長は何をやってたんだ」等々突込みどころは多々ある。いや、ありすぎる。しかも彼は新橋書店の社長であり、この世相の中、店を維持した上でのことである。副会長の私から見ても、もはや彼を評価する言葉が見当たらず「アホ」であるとしか言いようがない感じだ。(本人はやさしさだと言っている。)

出来上がった資料を見ると「総会資料」や必要不可欠な道具の他に「総会シナリオ」まで用意されていて、全員のセリフを全て決めてある。

それまでの彼の行動を知る者としてはあまりに予想外の周到さで思わず別の人が作ったのではないかと疑ってしまった。

しかし説明を聞いてゆくうちに本当に彼が作ったものと分かり、彼の本気さと本気になった時の「瞬発力」が伝わってきた。

私はこのとき本屋を継いでからしばらく感じていなかった感覚を感じた。暖かい血が頭部を流れ、たまっていた濁りを押し流す様な感覚だ。

「ああ、そうだ。男がそいつと一緒にいたいと思うのは確かこういう時だったな。」

かくして彼の計画通りに総会は終了し、懇親会では「計画以上に」青年部に期待を持ってお帰りいただいたと自負している。

 青年部は一昨年1名、去年2名新規に会員を迎えている。そしてそのうちの三弥井書店吉田さんは懇親会の司会をしてくれ、分梅書店下向さんは総会の司会と、今回新規に立ち上げた「PF(プラットフォーム=ケータイサイト)」委員会委員長。かつざわ書店勝沢さんには様々な組合行事に積極的にご参加いただいている。また、私が担当している広報委員会のHP(ホームページ)作成においても吉田さんや立川支部の30歳代の若手にとても積極的にご協力いただいている。

 言葉でうまく理由を表現できないが、青年部の活動は危機を乗り切ってこれから案外盛り上がってくるのではないか?

そんな予感を感じている。


(本原稿は2008年7月発行の東京都書店商業組合会報「東京書店人」原稿をそのまま転載したものです。)

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